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blacksheep
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blacksheep:ブラックシープ

渋さ知らズ、藤井郷子オーケストラ、板橋文夫オーケストラ、SXQ saxquintet等で活動するバリトンサックス/マルチリード奏者 吉田隆一が「音楽によるSF表現」を企み2005年に結成したトリオ。

吉田隆一(作・編曲/sax)
後藤篤(trombone)
スガダイロー(piano)
により構成される。

あるときは美しく、あるときは激しく、あるときはユーモラスに、あるときはシリアスに。変幻自在な即興と作曲により立ち現れる現実と非現実の断層。フリージャズとSFの融合。

2013年8月に3rdアルバム『∞-メビウス-』を発売!
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*『魔法少女まどか☆マギカ』劇場版『【新編】叛逆の物語』ネタバレを含みます。



この文章は、『魔法少女まどか☆マギカ』劇場版『【新編】叛逆の物語』に関する極めて個人的な感想です。なぜblacksheepブログにこの文章を掲載するかということですが、個人的だからこそ私が音楽製作においてどのようなことを考えているかというコトとも、またなぜblacksheepがSF+フリージャズと標榜しているかとも関係がある話だと判断したからです。

最速上映で『叛逆の物語』を観た私の感想はまず「SFだった」でした。直後にツイッターで以下のようにツイートしております。


…私に限った話ではないでしょうが(それが音楽でも本でもなんでもイイのですが)私が何かを見聞きしてまず行なうことが「どのような気分になったか」を自分の記憶と照らし合わせ、同質の感覚を「検索」することです。それは瞬時に、無意識に行なわれ、例えば「SFだった」等の結果が出ます。それから「なぜ自分がそう思ったか」を考え始めるのです。その検索結果を「直感」と言い換えても良いのですが…この連想術は信頼性のあるなしではなく、どのようにして価値観が形成され、どのように世界を観ているかというコトを自覚するためにも有用なのです。

私の場合、子供の頃からフィクションを楽しむ際に重要視しているのは「物語」ではなく、結果としてどのような感情が生まれたかです。それが漫画であれば画、小説であれば文体に由来するものであっても、登場人物の個性や行動であっても、設定であってもおなじことで、これらは私にとって「物語」と等価なのです。

そのような感覚は私が生まれて始めて読んだ絵本以外の本がヴァン・ヴォクト『宇宙船ビーグル号の冒険』であった事と無関係ではありません。それ以降好んでSFを読むことによって、「物語」と「状況(設定)」が等価であるように考え始めたのでしょう。

思えばSFとは「状況」を描くフィクションであり、いわば「状況」の連続が「物語」を発生させているという側面があります。むろんその二項のバランスは作家/作品/時代によって異なります。しかし「アイデア」「イメージ」が「物語」に先行するという点は全てのSFにおいて共通です。あとはその語り方の違いと言えるでしょう。「状況の連続が擬似的に物語を生み出している」というくらい物語性の薄い作品も少なくありません。SFとは「設定」と「物語」とが等価なフィクションなのです。

そこで『叛逆の物語』ですが、この作品は極めてシンプルな物語を骨組みとしています。それは前例を探せばいくつか見つかる骨格であり(アニメ『うる星やつら/ビューティフル・ドリーマー』を連想した方も多かったでしょうし、私は山田正紀氏の小説『最後の敵』や、『戦国魔人ゴーショーグン/時の異邦人(エトランゼ)』を連想しました)スポーツ報知タブロイドにおける新房監督と虚淵玄氏、岩上プロデューサーによる対談で虚淵氏が、演出で膨らませるのを前提に脚本には幅を持たせているという発言もあります。岩上プロデューサーは「軸はストーリー」と述べてはいますが、そも虚淵氏の作劇はシンプルな物語上に「状況」を並べ登場人物を追い込むという手法(新編公開に合わせ発刊されたムック『魔法少女まどか☆マギカぴあ』の虚淵氏インタビューに「求められるのが英雄譚だから」「それ以外のものを書けと言われたことも、書きたいと思ったこともない」という発言もあります)であり、物語の骨格そのものでオリジナリティを追及することを目指していません。
そして演出により(ファンサービスを含めた)過剰な情報が盛られ肉付けされた結果、物語の骨格よりも「状況」の連続がより強く印象付けられる作品になったのです。

つまり結果的に「状況の連続で物語が発生する」SFの作劇手法と同じ印象を受けたのだと、私は理解したのです。

そしてその過剰な「状況」を繋ぐ鎖は「夢の論理」です。

ここでblacksheep『∞-メビウス-』ライナーに私が書いた文章を引用します。ヴァン・ヴォクト『スラン』についてとJ.G.バラードについて書いた文章の一部です。

"ハヤカワ文庫版を翻訳した浅倉久志氏は、当時のヴァン・ヴォクトは枕元に置いた「夢日記」を執筆のアイデア帳として用いており、そのため全体に「夢の整合性」とも形容されるような感覚が横溢していると文庫解説で記しております。
フランスの思想家ロジェ・カイヨワはその著書『夢の現象学』において、“夢”を混沌の象徴/記号とすることを疑問視しています。夢を見ているとき、人はその夢の中でしか成立し得ない論理に支配されているのです。眼が覚めてしまえば「夢の整合性」は失われ、混沌としか形容できないものに成り果てます。しかし、もし「夢の整合性」を夢の中から持ち帰って作劇に用いることができれば……整合性を感じられない複数の要素が可視化されない論理で貫かれ「物語」として成立するのではないでしょうか?
『スラン』はそれを証明した作品に思えます。その点において後のニューウェーヴに多大な影響を与えたといえるでしょう。
……私には「フリージャズ」こそ「夢の整合性」を持つ音楽であるように思えます。演奏している人間にはある種の論理に基づく整合性があり、しかしそれが可視化されないため他者には混沌として理解される音楽なのではないかと。
フリージャズを聴くというコトは、他者の夢を追体験する行為なのかもしれません。"

"「シュールレアリスムのイメージは、内宇宙の図解である」(J.G.バラード『無意識の到来』山田和子訳/季刊『NW-SF』第六号より)
先の『SLAN』解説に登場したロジェ・カイヨワは、シュルレアリスム運動を進めた人々と丁々発止切り結んだ人物でもあります。その戦場のひとつが「夢」の取り扱いであったともいえるのですが、バラードや、それに先行するヴォクトがそれぞれ意識の仕方は違えど「夢」の論理を作品に用い、しかも両者とも表現の骨格がSF――論理に軸足を置く表現形態だったがゆえに、シュルレアリスム的な「夢の混沌」というよりカイヨワ的な「夢の整合性」を感じさせる作風となっているのが興味深いです。"
(引用ココまで)

…元々のプロットが「夢」でありながら虚淵氏の作劇は極めてロジカルです。それが映像(劇団イヌカレーの仕事の素晴らしさ!)演出によって過剰に盛り付けられた「状況」の連続に埋もれ、シンプルなはずのロジックは可視化されない鎖となり、結果的に「夢の論理」となったのです。
それが観終わった直後に私が


とツイートした理由です。

…そしてもう一点。
この文章を書くまでに私は3回この映画を観ています。そして情報がそのたびに整理され最初に感じた過剰な印象は薄れました。
しかしです。何度観ても「気分の検索が不能」な場面があるのです。それはコチラの想像を超えた表現であり、つまり子供の頃のSFに私が求めていた「跳躍」なのだと感じました。
それは、あの「ティロ・フィナーレ」です。あの映像だけは何度観ても「判断不能」に陥るのです。
いわば「叛逆のティロ・フィナーレ」という"気分のインデックス"が生まれたワケで、その一点だけでも私にとって非常に(個人的な意味で)重要な映画なのです。一生モノですからね。
(一生の一点モノかも知れませんが)


『叛逆の物語』→ジャズの"連想"も書いておきましょう。
ジャズこそまさしく、「物語」ではなく「状況」の連続で作られる音楽です。ジャズにおける楽曲は「物語」というよりは、「状況」を生むための…いわば「設定」に過ぎず、それを複数のプレイヤーのやり取りにより即興的に情報を盛り込み「状況の連続」を作り、その結果が擬似的に「物語」となるのです("「状況」が「物語」を覆い尽くさないよう、作編曲によって「状況」が周到に用意される"ビッグバンドジャズという存在も重要ですが。なので小編成のジャズを愛好する方の中にはビッグバンドが苦手という方もいます)。
…コレはTV版から新編にいたるまどか☆マギカの製作過程と極めて似通っています。
先に挙げた虚淵氏の発言はまさしくジャズ的で、場を共有するプレイヤー同士が互いの「音楽におけるスペース」を常に意識して楽しむジャズの演奏における醍醐味に通じます。
その意味において"magica quartet"は、ジャズ的な意味において素晴らしいカルテットなのです。

…最後に。
コチラも参照ください。泉信行氏によるTogetterまとめ。
吉田隆一さんと泉信行の『叛逆の物語』SF感想ツイート(ネタバレ前提)

…追伸
blacksheepは私のそうした嗜好により音楽が作られています。音楽でどのような「物語」を語るか、ではなく、どのような「気分」が検索されるかという。 (「状況」の連続は上掲の文章のように「夢の論理」…楽曲とバンド内のローカルルールにより連結されます) アルバム『∞-メビウス-』の帯を作家・神林長平さんにお願いするにあたり音源を送り、聴いていただいたのですが、神林さんが感想をつづったメールに"「気分喚起」のための音楽""印象を喚起する音楽"との一文があり、それをiPhoneで受信し、読んで、私は大いに驚き、感動し、駐車場に止めた車の中で「伝わった」喜びに涙を流したのでした。
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