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吉田隆一です。
2009年のblacksheepのライブは終了しました。
今年一年、ありがとうございました。
と言ってもメンバーは個々に演奏の日々を送っております。
2010年のblacksheepのライブは1月14日(木)関内『エアジン』から始まります。
また来年もよろしくお願いします。
さて。
前回の続きですが。
blacksheepを始めるにあたって、私はそれまでに書いたオリジナル曲ではなく、このトリオのために書き下ろした曲をレパートリーの中心にしようと考えました。
これはエリントンや武満徹氏の影響と言えますが、演奏フォーマットを前提にするのではなく、奏者の個性を前提にして楽曲を書くのが私の好みなのです。
とはいえ当時はまだ付き合いの浅い三人でしたので、心掛けたのは「できる限りシンプルに」という事でした。
私は色彩感のあるハーモニーが好きで、一見「変な」音響構造を持つ楽曲を書くことが多いのですが、初期のblacksheepでは、できる限りシンプルな「管の二声」で成立する音響を中心に据えることにしました。
書き下ろし、最初のライブで響いた音からフィードバックして、少しづつ「響き」に踏み込んで行き・・・『アーク灯の夢』等の「響き」重視の作品や、元々のシンプルな構造をディフォルメした『時の声』等を書く事になるのです。
初期の作品(アルバム『blacksheep/blacksheep』収録の楽曲群)の題名には「・・・の夢」という曲が多いです。
これは、ロジェ・カイヨワの『夢の現象学』の影響があります。
カイヨワはこの著作において
「創作において夢を混沌の記号として用いるべきではない。夢には明確な論理構造があるからだ。しかしそれは夢の内部でのみ有用な論理構造であり、目覚めてしまうとその論理構造を理解できず、結果「夢とは混沌」というように理解してしまう」
という事を述べています。
この考え方はそのまま、特定の音楽コミューン内部における「演奏上のローカル・ルール」とでも言うべき構造にあてはまるように思われるのです。
フリーインプロヴィゼイション・ミュージックと呼ばれる音楽の大半は、その「夢の論理」とも言うべきローカル・ルールを用い、なおかつそのルールを聴衆に対して曖昧にすることにより成立しているとも言えます。
そのルールの発見と制定こそが「新しいアイデア」と呼ばれるものの正体です。
blacksheepはフリーインプロヴィゼイションのグループでもフリージャズのグループでもありません。もちろんそうした要素は演奏上の「戦略」として積極的に用いられますが。
ではなにか?といえばそれはやはり「ローカル・ルールに支えられた何か」としか言い様がなく、いわば「blacksheep」というジャンルの音楽であります。
(それは決して特殊な事ではなく、本来全ての音楽が持つ「秘」「謎」の部分なのですが)
・・・題名になぜ「夢」が多かったのか。
それは、音楽の論理構造は「夢の現象学」と通底する、という暗示なのでした。
と言いつつ・・・最近はまた違うモチーフに基づいて作曲しています。
なので「夢」のシリーズはしばらく書かないでしょう。
演奏においてはまた何度も「夢」が登場するでしょうが。
2009年のblacksheepのライブは終了しました。
今年一年、ありがとうございました。
と言ってもメンバーは個々に演奏の日々を送っております。
2010年のblacksheepのライブは1月14日(木)関内『エアジン』から始まります。
また来年もよろしくお願いします。
さて。
前回の続きですが。
blacksheepを始めるにあたって、私はそれまでに書いたオリジナル曲ではなく、このトリオのために書き下ろした曲をレパートリーの中心にしようと考えました。
これはエリントンや武満徹氏の影響と言えますが、演奏フォーマットを前提にするのではなく、奏者の個性を前提にして楽曲を書くのが私の好みなのです。
とはいえ当時はまだ付き合いの浅い三人でしたので、心掛けたのは「できる限りシンプルに」という事でした。
私は色彩感のあるハーモニーが好きで、一見「変な」音響構造を持つ楽曲を書くことが多いのですが、初期のblacksheepでは、できる限りシンプルな「管の二声」で成立する音響を中心に据えることにしました。
書き下ろし、最初のライブで響いた音からフィードバックして、少しづつ「響き」に踏み込んで行き・・・『アーク灯の夢』等の「響き」重視の作品や、元々のシンプルな構造をディフォルメした『時の声』等を書く事になるのです。
初期の作品(アルバム『blacksheep/blacksheep』収録の楽曲群)の題名には「・・・の夢」という曲が多いです。
これは、ロジェ・カイヨワの『夢の現象学』の影響があります。
カイヨワはこの著作において
「創作において夢を混沌の記号として用いるべきではない。夢には明確な論理構造があるからだ。しかしそれは夢の内部でのみ有用な論理構造であり、目覚めてしまうとその論理構造を理解できず、結果「夢とは混沌」というように理解してしまう」
という事を述べています。
この考え方はそのまま、特定の音楽コミューン内部における「演奏上のローカル・ルール」とでも言うべき構造にあてはまるように思われるのです。
フリーインプロヴィゼイション・ミュージックと呼ばれる音楽の大半は、その「夢の論理」とも言うべきローカル・ルールを用い、なおかつそのルールを聴衆に対して曖昧にすることにより成立しているとも言えます。
そのルールの発見と制定こそが「新しいアイデア」と呼ばれるものの正体です。
blacksheepはフリーインプロヴィゼイションのグループでもフリージャズのグループでもありません。もちろんそうした要素は演奏上の「戦略」として積極的に用いられますが。
ではなにか?といえばそれはやはり「ローカル・ルールに支えられた何か」としか言い様がなく、いわば「blacksheep」というジャンルの音楽であります。
(それは決して特殊な事ではなく、本来全ての音楽が持つ「秘」「謎」の部分なのですが)
・・・題名になぜ「夢」が多かったのか。
それは、音楽の論理構造は「夢の現象学」と通底する、という暗示なのでした。
と言いつつ・・・最近はまた違うモチーフに基づいて作曲しています。
なので「夢」のシリーズはしばらく書かないでしょう。
演奏においてはまた何度も「夢」が登場するでしょうが。
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